こんにちはMIHOROの今村です。
オリンピック開催直前になると毎回注目されるキーワードがあります。
- 「レーザー・レーサー」
- 「高速水着」
- 「スピード社」
- 「レーザレーサー 禁止 理由」
高速水着が世間を騒がせた時代は2008年の北京オリンピック前後で、軽く10年以上経過しているにもかかわらず世間の記憶は色濃く残っているのだと感じさせられます。それほど大きなニュースが走ったのは間違いありません。競泳の世界にずっといた人は高速水着がどんな経緯を辿っていったのかをご存知かと思いますが、
世間からは「いつの間にか消えた高速水着」、「レーザーレーサーはなぜ禁止になったのか。」
そのような認識の方が多いようですので、この話題を順を追って説明していきます。
高速水着の話題を説明するために、高速水着がなかった時代からご案内していきます。
0.高速水着時代の前
この頃の競泳水着を開発する各社は撥水加工、体へのフィット感、効果的な水着の切替といった開発コンセプトで、競泳水着の開発競争が行われていました。撥水加工の形状や方法によって体に沿った水面との抵抗を減らす。という、水の流れを改善することに主な目的がありました。
生地はやや硬めながらも伸縮がしやすい生地を使っており、股関節周りも動かしやすい設計でした。
この当時人気だった水着
arena エールブルー(カワセミ)
speedo アクアブレード(サメ肌)
どのブランドでも比較的派手目な発色が印象的で、足首まであるものも人気が高かったのです。
一方でこの頃はまだ男性のハイレッグタイプ(通称:Vパンツ)の水着を大会で見ることがありました。これは、水着の面積が薄い方が泳ぎの邪魔にならないという認識が強かったのかもしれません。ですが、この頃すでにspeedoブランドでは脚だけでなく腕までを全て覆う水着が発売されるなど、高速水着が発生する予兆はありましたが、その本格的な波がきたのは2007年の頃でした。
高速水着問題とは別の所で、この2007年頃は日本の競泳水着業界には大きな波がありました。
イギリスのspeedoブランドは、日本の市場ではミズノが競泳水着の生産と販売を手掛けていました。一部の製品を除いて日本の市場に流通していた水着やゴーグルなどはミズノブランドが生産していたのです。ただ、偶然にもこの2007年頃、ミズノとspeedoの日本の契約は終了し、speedoブランドの日本販売はゴールドウィンが手掛ける事となりました。
今までspeedoブランドを日本で生産し、販売までを手掛けていたミズノは自社ブランドmizunoとして競泳業界へと参入しました。
2007年後半から:高速水着登場
高速水着の登場と隆盛(レーザーレーサー、バイオラバー)
2007年。北京オリンピックに向けて登場したのがイギリスを本社に置くspeedoが開発したLZR Racer(レーザー・レーサー)
その素材はLZR Pulse(レーザーパルス)と名付けられたパネルのようなナイロン素材をレーザーで圧着してつなぎ合わせたものだった。従来の伸縮する生地とは一線を画す生地で、NASAの協力を得て作られたこの水着は、素材も、つなぎ合わせる技術にも前例は少なく言葉通りの規格外の水着であり、その水着の特徴は下記のようになっている。
- 着用によって、体の体積が極限まで締め付けられる
- パネル(グレー部分)によって筋肉の振動を抑える
- つなぎ目はレーザー圧着され、表面は極限まで凹凸を削られている
- 姿勢を整える機能
まさに0.01を削るために競われているF-1の世界に例えられた最高峰の水着といわれていた。その性能を発揮する為には着用が非常に困難を極める事は有名で、男性は着用するだけで30分、女性ともなると1時間とも2時間ともかかるほどだった。だが、その異質とも言えるほどの水着が選手の力を増幅させるほどに異次元の性能の高さを作り出した。その性能の圧倒的な違いを見た多くの選手はレーザーレーサーを選び、その着用選手が次々と世界新記録を打ち出していく。
日を追うごとに新記録が塗り替えられていく中、日本では契約や規約上の理由から日本選手はレーザー・レーサーを着用できないという問題が立ちはだかりました。今までspeedoとして登録されていたブランドはミズノへと切り替わっており、speedoというブランド自体が日本において認められていないため着用出来ないという状況に陥っていた。日本選手のためにレーザーレーサーに匹敵するような規格外の水着を次のオリンピックまでという非常に限られた時間の中で同等レベルまで開発する事は困難を極め、日本のメーカーが簡単に追随出来るものではなかった。
当初は仕方がないという風潮もあったが、この水着を着用した選手はその間にも長年塗り替えられなかった世界記録を次々と塗り替えていき、「このままでは来る北京オリンピックでの日本競泳陣が非常に厳しい環境に立たされてしまう」と、世論が大きく動いたのです。それが高速水着初期の頃の騒動です。
この世論に乗る形で紆余曲折がありながらも選手陣と世論が後押し、日本メーカーの各社も例外的にこの水着レーザーレーサーの着用を認める形で、これまでの慣例やルールを一時撤廃し、日本選手もこのレーザーレーサーを着用して大舞台となる北京オリンピックに出場することを認められました。
その結果、この北京オリンピックでは日本のみならず各国選手から世界記録をはじめとする各種新記録が大量に量産されることになります。
その世界新記録やメダル取得者の大半がレーザー・レーサー着用だったという衝撃はまた世界を驚かせ、メディアではレーザー・レーサーのことを高速水着(レーザーレーサーは商標となるため)と名付けて報道されました。
そのようなオリンピックの結果を受けて高速水着騒動はオリンピック後になっても覚めるはずがなく、報道は加熱の一途をたどりました。試算によるとレーザーレーサーによるspeedoブランドの宣伝効果は2000億とも言われ、speedoブランドはその関連商品である競泳水着FS PROも品薄になり、初心者向け、フィットネス水着に至るまでspeedoブランド全体の人気が高まった。
このレーザー・レーサーの活躍によって、飛躍したのはspeedoをこの時期から運良くも国内展開を始めたゴールドウィンであり、逆に一番割りを食ってしまったのが2008年頃より自社ブランドで展開を始めたミズノだった。
2008年〜2009年:高速水着の技術競争
そのspeedoの高速水着の実力の差は結果を見ても分かる通り歴然とした技術の差があり、そのあまりにも圧倒的な力の差を短期間で埋めるのは難しいと思われていたが、その解決方法は意外な所にあった。
レーザーレーサーと同じ素材ではなく、海で良く使われる水着であるウェットスーツの素材を使う事である。
ウェットスーツはゴムで作られているために水着自体に浮力がありスイマーの体を安定させる。体の体積を小さくするために非常に窮屈な水着を1時間近くかけて着用するという問題があった硬い生地のレーザーレーサーに対して、ラバーという素材であればレーザーレーサーに比べれば伸縮が良く性能が高く出来るために解決した。
幾つかのウェットスーツ素材が使われていたが、その中でもとりわけ高い評価を受けたのが日本のウェットスーツ素材メーカーである山本化学工業であった。競泳水着各社は対レーザーレーサーとしてこの会社が開発したウェットスーツ素材(バイオラバー)を使って開発をすすめ、非常に性能の高い水着を生み出していき、この水着も合わせてその極めて高い性能があったことから合わせて高速水着と呼ばれた。
このウェットスーツ素材(バイオラバーで作られた)水着は、レーザーレーサーよりも高い記録を残し始めていき、世界記録は飛躍的に伸びた。だが、選手を置き去りにした行き過ぎた開発競争に繋がってしまう。
本来であれば水泳大会は選手自身の力に注目されるべきにもかかわらず、「この水着を持っていないと負ける」という水着にばかり注目が集まってしまい、スポーツの意義が問われる事態になっていったのです。
そこで再度、選手が主役であるという事に目を向ける為に、高速水着は規制(事実的な禁止)という手が取られる。
(※日本での基礎ルールは2010年4月から制定されたが、とても高価な水着が短期間で使えなくなるのは問題だという指摘があり、使える期間に関して猶予期間が設けられたが、その猶予期間は全世界で統一されることがなかった。結果として、日本選手が出したはずの大記録や着順が世界大会では承認されず、記録やメダルの権利がはく奪されてしまうなどの問題が発生した。)
高速水着時代後半に当時(レースで)人気だった水着
ブランド | 水着 | 補足 |
speedo | LZR Racer | 高速水着概念を作り出したブランド |
mizuno | ST-100 | 一般販売なし、選手のみ |
arena | AQUAFORCE ZERO | 一般販売なし、選手のみ |
Jaked | Jaked01 | イタリアの圧着工場が立ち上げたブランド。ラバー系の中でも非常に評判が良かった |
その他 | バイオラバー以降で立ち上がった新規ブランド(KOZ,YAMAHO,ブルーセブンティなど) |
上記のようにこのレーザーレーサー以外は、バイオラバーで作られた水着が圧倒的な人気を誇っていた。
2010年4月から:高速水着の規制と水着開発のリスタート
徐々にルールが厳格化されていたが、この2010年4月からレースに出場する為には、FINAが認めた水着(FINA承認マーク付き)が必須になる。
細かく定められたルール改定によって、高速水着時代は終わったと言われて、その高速水着という名前も表舞台から姿を消しました。
ただ、レーザーレーサーの名残もあり、ルールが改定された後も、締め付けが非常に強いものが選手の間では主流でした。
この時期のルールの一部が下記(2010年4月時)
- 男性はへその下から膝まで(当時は肩から足首まで認可されていた)
- 女性は肩から膝まで(足首までのものは基本的に禁止された)
- 重ね着禁止
- テーピング禁止
- 素材の厚さを0.8mm以内(ラバー水着はとても分厚かった)
- 浮力を0.5ニュートン以下(高速水着は着用するだけで浮いていた。)
これだけ見てもどんな変化というのが伝わりにくいところだが、高速水着時代に培ったノウハウをリセットするのにも近いルール変更でした。それどころか、男性の水着の面積は基本的に膝上のみとなり、今後は水着開発競争はどうなるかと言われたのです。上記したウェットスーツは実質的に禁止となりました。
ただ、各企業の開発意欲は非常に強く、各社の水着開発競争は選手に寄り添いながらそれぞれの道を求めていくことになります。
国内選手の主流水着(2011年夏の大会)
ブランド | 水着 | 補足 |
speedo | LZR Racer ELITE | 欧州開発 |
arena | アクアフォース1 | 欧州開発 |
arena | パワースキンレボプラス | 欧州開発 |
mizuno | GX | 日本開発 |
2012年~2013年ごろ:高速水着の余韻からの脱却
レーザー・レーサーの衝撃がまだ強く残る頃、多くの競泳選手は少しでも体を圧迫するための水着を求め、ワンサイズでも小さい水着を着用していた。
だが、単に硬すぎる水着は選手を拘束してしまいパフォーマンスを落としてしまう事例が出て、メーカー指定よりも小さく着用したことによって水着が破断してしまうという問題も一時期発生した。それらの経緯を受けて硬すぎる水着が主流だった時代から、徐々に柔らかい水着が徐々に主流になり始める。
日本ではLZR Racer ELITE(日本のゴールドウィンが開発)や、asicsのTOP IMPACT LINEといった日本用にカスタマイズされたやや柔らかめの試合用水着が人気を誇る。
その人気の変遷は激しく、日本国内ではアシックスのTOP INPACTLINEは着用率60%を超えていたと言われたほど、日本の試合用水着は一気に塗り替わっていました。
2014年から2019年まで:メーカー別の理論の試行錯誤競争
FINAの規定が少し変更、インナーの条件などが緩和され(2016年)、それぞれの個性が明確に出始める。
この後は、各社が開発競争を続けており、それぞれのメーカーが提唱する(早くなるための)理論を元に選手と共に開発を本格的に開始しています。
- ミズノはフラットスイムの理論でGXシリーズ開発がスタート
- アリーナはアップキックサポートでインフィニティシリーズの開発が進む
- アシックスは体幹の保持でTOPINPACTLINEの開発が進む
- スピードは水面に対する体積抵抗の低減を続けており、LZR Racerシリーズの開発が進む
この競争によって、2008年のレーザーレーサーの衝撃で割りを一番食ってしまったミズノのGX SONICシリーズが飛躍的に人気を高めていく
(参考)【インタビュー】日本が誇る総合スポーツブランド ミズノ・ものづくりの礎になるもの
国内のみならず、海外でも有名選手が着用し、非常に高い人気を誇る。
その人気の移り変わりは非常に激しく、アシックス 一辺倒だった時代が一気に変わり、ミズノを着用する選手が60%を超えていたとも言われています。(2018年でも50%ぐらいを維持)
2019年~:高速水着後の完成形に近づく
(この記事自体は2014年頃に書かれたものを、定期的にリライトしながら公開しています。)
高速水着という認識は2008年頃に発売された(着用するだけで記録が上がる)水着に対して付けられたものですが、現在はその認識が徐々に変わり、トップ選手が使う水着に対して高速水着という通称が適応するようになりました。
次のオリンピックに向けて各社が開発競争を続け、それぞれのコンセプトに合わせた最終モデルともいえる完成形を創り上げています。
そんな中でも、speedoは今一度サメ肌というコンセプトに立ち返ったのは印象的でした。
2021年~:スイマー技術と水着技術のフィット
この頃になると世界大会では高速水着時代に作られた記録で、あと数十年は(高速水着なしでは)この記録は塗り替えられないだろうという記録が次々と塗り替えられ始めてきます。
世界記録も同様で、短距離を中心に世界記録はこの頃に塗り替えられていきます。
これは何があったのでしょうか。
これは選手が何よりの主役となり、それに寄り添ってメーカーも水着開発を続けてきた成果ともいえます。
競泳の世界は0.01秒を削り取っていくスポーツです。まずスイマー自身が己の限界を超えるためにあらゆる理論や努力をし、各メーカーがスイマーのためにと開発した技術が選手の泳ぎをサポートしていく。
高速水着が事実上禁止となってから約12年で次の泳ぎの次元に入っているのだと感じさせられます。