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水泳の進化史:バタフライは平泳ぎから生まれた?知られざる4泳法の起源

時代の幕開け:自由形のみだった初期の競泳

競泳という競技がオリンピックに登場したのは1896年のことです。

この当時は今のように4泳法(クロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎ)という概念がなく、全員が言葉通りの自由形でした。

「じゃあ、みんながクロールだったんだね」

と思ってしまう人もいるかもしれませんが、この自由形というのは平泳ぎ(水に顔をつけない、顔出し)で泳いでいたといいます。

基本的にこの泳ぎ方しかなかったのです。


2泳法の時代の到来:背泳ぎの登場

自由形(当時は背泳ぎ主流?)、平泳ぎ

最初に平泳ぎ以外の泳法が増えたのは、背泳ぎでした。

左右非対称の現在のクロールの原型は南アメリカやオセアニアで使われていた泳法と言われており、その泳法をアーサー・トラジオンという選手が、1873年に公式の場で実践したといわれています。継続的に効率よく泳げる背泳ぎに記録的な優位性が生まれることで、自由形の主役は背泳ぎに変わっていったといいます。この結果、自由形から平泳ぎを独立させました。

自由形(背泳ぎ?)と平泳ぎの2泳法時代です。


3泳法時代への転換:クロールの普及

自由形(クロール)、平泳ぎ、背泳ぎ

その背泳ぎを競技として独立させた直後に自由形で泳ぐ選手が増えたのは、今でいうクロールに近い泳ぎ方です。この時代はまだ顔を出した泳ぎが主流だったようですが、今でも残る最速の泳法という事で、ほとんどの選手がクロールへと変化していきました。今度は自由形から背泳ぎを独立させました。

自由形(クロール)、背泳ぎ、平泳ぎの3泳法の時代です。


4泳法時代の幕開け:バタフライの誕生

さらに時代は進みます。

バタフライの歴史は1928年(アムステルダム五輪)で衝撃のデビューをしました。

1928年当時はバタフライと言う競技はなく、平泳ぎの競技の中で現代のバタフライに近い泳法のエーリッヒ・ラーデマッヒェル(Erich ("Ete") Rademacher)選手が現在のバタフライに似た動きで平泳ぎの競技大会に出場し、銀メダルを獲得しました。今までは自由形からの独立でしたが、今回は平泳ぎという一定のルールがある競技から新しい泳法が登場したのです。バタフライと平泳ぎは全く別の泳法ではありますが、当時の平泳ぎの規程では左右対称の動きをする事がおおまかな規定だったために、そのルールの中でバタフライという新たな泳法が生まれたのです。

水泳をする方ならご存知のように、バタフライはクロールに次ぐ速さのある競技ですから、当然バタフライの方に優位性がありました。大会を追うごとに平泳ぎの泳法からバタフライの泳法を取り入れた選手が急増し始め、ルール改訂直前には殆どの選手が平泳ぎ競技では、平泳ぎの泳法ではなくバタフライの泳法を選んでいたといわれています。

その結果として、国際水泳連盟は1956年のメルボルンよりルールの改定を行い、バタフライと言う独自の競技が独立し、今の4泳法が誕生することとなります。

自由形(クロール)、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ

泳法発展の背景:試行錯誤の歴史

次々と新しい泳法が生まれてくるのってなんだかおもしろいですよね。

ですが、この新しい泳法というのは誰かが違反をしたから生まれたわけではありません。既存のルールの中で出来る最高のパフォーマンスを考えた結果、効率の良い泳ぎ方を見つけ、それを実践した。

その結果、多くの選手がより速く泳ぐために泳法を取り入れてどんどんと改善し、泳法が確立していく。

水泳はもちろん、科学技術でもサービスでも同じような事はよくあり、レーザーレーサーを始めとする高速水着もまた、その革新でした。

水泳において、新しい泳法が生まれる過程は、練習と試行錯誤の大切さを私たちに教えてくれます。競泳選手たちは、常により良い方法を模索し、自分の限界を押し広げることで新たな技術やスタイルを開発してきました。これは、スイマーたちにとって非常に重要な教訓です。効率的な泳ぎ方やスタイルは、ただ練習を重ねるだけでなく、自分自身の泳ぎを深く理解し、常に改善する姿勢から生まれます。この精神は、水泳だけに留まらず、日常生活や他のあらゆる分野にも応用できる普遍的な価値を持っています。だからこそ、スイマーたちは、毎回の泳ぎに意味を見出し、一つ一つのストロークに新たな可能性を見いだすことができるのです。

今後の世界では第5の泳法といったものが生まれてくる可能性もあるかもしれませんね。

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