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【インタビュー】Jakedも展開:水泳老舗フットマークのアイデアと歴史

フットマークアイデアで積み重ねてきた歴史

取材先フットマーク:木村元気さん

1.競泳ブランドJaked

フットマークという会社を伝える前に、Jakedというブランドを皆さんはご存知でしょうか?

2008年高速水着元年レーザーレーサーの衝撃

高速水着の話題が全盛の頃にレーザーレーサーに次いで世界に名を馳せたのが、このJakedでした。

Jaked自体は熱圧着の技術を持った小さな町工場(アパレル?)のイタリアの会社でした。

その技術によって、レーザーレーサーの登場時に、世界への対抗馬となるバイオラバー素材(山本化学開発素材)を使って高速水着を小さな会社が生み出したのです。

バイオラバーは当時の規格としては圧倒的に優れた素材だったために加工が困難だったのですが、それをJakedが見事に加工をし、トップクラスの選手がこぞってこの水着を選んだのです。

まさに下町工場の奇跡です。

2008年 高速水着J-01が登場

2008年 高速水着のFINAルールが変わるまで、世界中で着用選手がメダルを獲得

2010年 FINAルールの適用後、Jakedブランドは豊富なラインナップを擁して日本で展開開始(フットマークが専属代理店)

2011年 金藤理絵選手と所属契約(フットマークの社員に)

2016年 金藤理絵選手(J-Katana着用)がリオオリンピックで金メダル獲得

2018年 後藤真由子選手と所属契約

今発売されているJaked水着の魅力は、高速水着の当時の水着とは違って、布帛ながらも一枚布で作られていました。

これは当時非常に革新的なアイデアで、生産にも技術的なハードルが高く前例が知る限りはありませんでした。

そのコンセプトにより、非常に着心地が良好となっており、マスターズ選手、トライアスロン、フィンスイマーなど、

非常に高い人気を誇っています。

あのお笑いタレントの春日さんもJakedを着用していましたね。

最近だとこのように、世界で活躍するブランドを扱うフットマークですが、

実は、私たちの子供の頃から、身近なプールの日常を支えてくれています。

2.フットマークが培ってきたもの

フットマークがアイデアで次々と切り開いて来た魅力的な商品開発を紐解いてみましょう。

1946年 ゴム布製品製造下ろし

赤ちゃんのオムツカバー、リュックサック

1970年 ベビーパンツ、大人用おむつカバーを発売

実は誰もが知っている「介護」という言葉は、介助と看護の造語で、フットマークが作った言葉です。

1970年ごろ 

・水泳帽をかぶる習慣を日本に導入

・色別のスイムキャップ

・マジックテープ付きキャップ

フットマークは数々のユニークなアイデアで、日本の学校水泳において非常に大事な役割として成長してきました。

水泳帽も、オムツカバーを作っていた頃の技術を応用して作ったというのだから、ユニークですよね。


3.フットマークが目指す場所

「水泳ファンを増やすのが会社の使命」

今回取材を受けてくれた木村さんは、そう語ってくれました。

フットマークではその言葉にふさわしい商品が数多く立ち並びます

可愛らしいデザインのスイムキャップ

子供が泳ぎやすくした浮く水着 クロール25の発売

泳げる子どもを増やそうプロジェクト

2011年からNIKE社とライセンス契約し、スポーツが好きな若者にも人気の高い水着デザインを毎シーズンリリース

フットマークさんの会社には、このようにフットマークが開発した水着や、商品がこのように展示されています。

希望があれば、外からの外来の見学も今後?受け入れているようで、ご興味がある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。

毎年のように、新しい水着アイデアを楽しく込めていくアットホームな会社です。

月刊フットマークは現在50号。今回取材を受けて頂いた木村さんは、創刊されてから第2号に早速掲載されていました。10年前の記事とあって、やっぱり若い!笑

フットマークの月刊誌はこちら

フットマークさんは日本に水泳が根付いていく過程とともに成長し、そんな中でも様々なアイデアで、商品開発をされてきました。

イタリアのJakedと日本のフットマークは全く違う文化ながらも、どこか似ているところも感じますね。

これからのフットマークの展開、そしてJakedの新作が気になります。

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